昭和33年指導要録が公示され、「試案」という言葉が外されることになり、法的拘束力が強化された。そこには、まだたくさんの問題が存在していたが36年には実施された。
そのころ、画期的な科学の進歩に即応した教育への要請が教育課程に大きな変化を与えていた。同時に低学年理科の要・不要論の議論が現場で起きていた。
そんな中日本私立小学校連合会の中で昭和36年11月8日理科研究部会として産声を上げた。
東京では、昭和34年以前から理科部会がおこなわれ、各地区の私立小学校の理科部との研究の交換などの話題が出ていたが、他の地区では組織が出来上がっていなかった。
昭和34年5月近畿地区ではじめて甲南小学校において行われた研究会の理科分科会で、当時、東京私立初等協会の研究部主任であった山田一枝(成城学園初等学校)講師が私立の小学校の連携連絡が必要だと述べられた。それをきっかけに、日小連の理事・役員の努力により、近畿地区私学理科教育懇談会が発足した。
神奈川では、すでに昭和29年に理科研修会が発足しており30年には、理科部が誕生し、充実した研究が続けられ、その功績が認められていた。
その後、野田彰教諭(成蹊)庄司和晃教諭(成城学園初等部)をはじめとする諸先輩方が、夜行列車などで通いつつ他地区の理科教員に呼びかけ、昭和36年8月25日成城学園初等学校職員室にて第1回の準備委員会が開かれた。参加者は次の通りである。
参加者(敬称略)
佐藤納(追手門学院) 仲谷清(雲雀丘学園) 宮崎富士也(帝塚山) 須藤孝(関東学院葉山)
山田一枝・庄司和晃・田沢与光・藤秀英(成城学園) 栗山重・永井昭三(宝仙)
永野房夫(慶應義塾) 弓地一夫(双葉第二)
木村定司・野田彰(成蹊) 柴田勝(成城学園初等部校長) 東初協・日小連理事
以降準備委員会が何度か開かれ、11月8日の誕生に至った。
なお、これらの経緯については、1962年の研究収録の1号を参照にした。
「おもしろい理科の授業をつくる」を研究テーマに各地区の理科の教員が実践を積んだものを、全国教員夏季研修会で発表の場としている。これらの発表は、レポート1枚でもよいので、発表しようという諸先輩方の呼びかけにより、毎年多くの発表が行われている。
教員個々、あるいは地区における互いが抱える問題点などを共有することにより、また互いの実践を参考にすることにより、より進歩的な私学の理科教育を発展させようとすることを目的としている。また、ホームページを立ち上げることにより、夏季だけでなくいつでも参考にでき、交流を図れる場となることを願っている。
文責 令和3年度 全国委委員長 天井比呂(雲雀丘小学校)
日本私立小学校連合会会則第4条第3項並びにそれに係わる内規準別に従い、 理科研究部会の運営を円滑にするために理科研究部会に次の規定を定める。
名 称 日本私立小学校理科研究部会(略称、日小連理研)という。
部会員 本研究部会員は、各私立小学校の理科部員・理科研究を希望する者をもって構成する。
本 部 委員長の所属する学校に置く。
目 的 私学理科の独自な研究を高め、新しい時代の理科教育を築こうとする。
事 業 目的を達成するために、おおむね次の事業を行なう。
他地区で行なわれる私立小学校研究会への積極的参加。
地区の実情に即した地区研究会。
必要に応じ全国共通の研究テーマの設定。
個人およびグループ・団体などによる研究・調査。
個人・学校・地区間における研究・資料・情報などの交換・連絡・提携。
他の理科教育研究団体の情報・理科教育関係図書の紹介など。
理研ニュースの編集発行(随時)。
私学理科に関する出版物・研究物や業績・資料などの収集・整理保管。
研究物・実践録などの出版・およびその斡旋。
その他。
<改訂履歴>
S37. 1 . 5 制定
S37. 8 . 17 一部変更
S42. 8 . 22 ~ 24 改正
S49. 8 . 22 ~ 24 一部変更